血液透析

血液透析導入の決断(4月28日)

僕はこれまで、約4年間、腹膜透析をしてきましたが、徐々に、徐々に症状は悪化し、とうとう通常の生活に耐えられなくなってきました。

そこで一年発起し、シャント手術を受け、血液透析に移行することとしました。このブログは、そんな僕の日常を、できるだけ正直に、ご紹介していこうと思います。

僕のブログが、同じ病に苦しむ人々に、何か少しでも希望をもたらせたら、と願い、日々、綴っていこうと思います。

世の中は、コロナ戦争状態、こんな中で手術を受けるのは容易なことではありません。

幸いにして僕はかかりつけの大学病院があったので、担当の先生に、「このままでは人間らしい生活ができません。血液透析をしたらどうでしょうか?」と相談したところ、「今、あなたは腹膜透析の透析液交換を一日4回しているが、血液透析1回では、一回の透析であなたの腹膜透析の1週間分の効果がありますよ。血液透析は掃除機並みに毒気を吸い出しますからね」という。

本当に?それなら、血液透析に移行したいのですが、と持ちかけた。

「今、世の中はコロナで逼迫しています。我が病院も、入院する患者さんは、全員、PCR検査を受けていただきます。コロナに感染していないことが判明しないと、入院はできません。」

じゃあ、ぜひお願いしますと、PCR検査を受けることになった。PCR検査とは、新型コロナに感染していないかどうかを検査する方法である。

インフルエンザでも綿棒を鼻に差し入れて検査するが、あれと似たようなものらしい。

検査は4月28日、これで陰性が出れば入院が許可され、翌29日に手術の予定となった。

4月28日朝、病院を訪れた。

病院は、コロナで規制され、人の数は少ない。

「特別入院受付口」と書いた、物ものしい扉を潜ると、間を開けた看護婦さんが三人、受付テーブルに座っている。

すぐその場で、体温を図られ、36.5度でパス。

検査用のキッドと書類を受け取り、待合室へ入る。

待合室はだだっ広く、およそ10メートル間隔ごとに人が座っている。

心を落ち着かせるクラシックが朗々と流れている。

しばらく待つと名前を呼ばれ、別室へ。

いよいよPCR検査だ。

綿棒よりも4倍くらい長い棒を持った人が、これを鼻に差し入れるという。

くしゃみをしたくなった時の予防に、ティッシュを3枚くらい持たされた。

もしもくしゃみをしたくなったら、これで覆え、という。

長い細い綿棒を鼻の奥へ差し入れる。奥に到達して、さらに奥へというように差し入れたので、奥が詰まって、プラスチック製の棒がぐにゃっと曲がり、曲がったら、すぐに外に引き出された。

奥の奥まで差し入れられたが、ほんの一瞬のことだったので、思ったほど痛くない。

確かにしばらく、いつもは触れられない奥の到着感は残ったが。

噂ではこれでもか、と奥まで入れられるので、相当痛い、と聞いていたが、そうでもなかった。

まあ、一瞬ですから。

検査はこれで終了。

また広い控え室に戻って、待っていろという。

パソコンを開いてもいいということだったので、netflixを見ながら待つこととした。

しかし、ここからが長かった。

結局、合計6時間!

ただひたすら、この場所で待たされた。

その間は外には一切出られない、ということだったので、お昼の弁当を持ち込んでおり、ここでおにぎりを食べ、ひたすら待った。

そして、午後3時、看護婦さんが現れ、「お待たせしました。入院できますので、入院病棟へお移りください。」

「それって、陰性だったということですか?」

「はい、そうです」

無事、PCR検査ばパスし、感染していない僕は明日、血液透析へ移行するため、シャント手術を受けることとなった。

シャント手術とは、血液透析をするときに、血液が十分取れるように、腕の動脈と静脈をつないで、太い血流の管を作る手術である。

血液透析では、4時間ぐらいで身体中の血液を洗浄するため、普通の採血のように血液を取っていたのでは間に合わない。

だから、太い管を作ってここから一気に血液を抜き、そして洗浄してまた体に戻す。

手術に備えて、僕は腕の血管に沿ってマジックで目安を入れられた。

僕は左利きのため、右手にシャント手術をする。

さあ、明日はいよいよ手術だ。